趙寒陽とは?|王国潼から受け継いだ現代二胡教育と教材体系

中国二胡の現代史をたどっていくと、優れた演奏家だけではなく、「二胡をどのように教え、どのように次の世代へ伝えていくか」という教育の発展も非常に重要であることが分かります。

劉天華が近代二胡教育の基礎を築き、その弟子たちが教育を受け継ぎ、さらに王国潼らの世代によって現代二胡へと発展していきました。

そして、その次の世代で二胡の演奏技術をさらに整理し、教材、著作、映像などを通して、多くの学習者へ伝えてきた教育家の一人が、趙寒陽(赵寒阳)先生です。

趙寒陽先生の活動を見ると、二胡教育が音楽大学の専門教育だけではなく、子どもや一般の二胡愛好家、そして映像やインターネットを通じた教育へと広がっていった過程も見えてきます。

今回は、趙寒陽先生の歩みを通して、現代二胡教育がどのように体系化され、より多くの人へ広がっていったのかを見ていきたいと思います。

目次

1.趙寒陽とは

趙寒陽先生は、1954年12月10日、江蘇省常州市に生まれた二胡演奏家・教育家です。

1977年に中央音楽学院民楽系(民族音楽学部・二胡専攻)へ入学し、著名な二胡演奏家・教育家である王国潼に師事しました。

在学中から優秀な成績を収め、1979年には学院で行われた音楽コンクールで二つの一等賞を受賞。

中央音楽学院民族楽団の一員として、イギリス、アイルランド、イラクなどを訪問し、演奏活動も行いました。

1982年に本科を卒業すると、そのまま中央音楽学院に残って教鞭を執り、長年にわたり二胡の専門教育、教材研究、演奏法研究、人材育成に携わってきました。

その後も海外各地で演奏や講義を行い、演奏家としてだけでなく、現代中国を代表する二胡教育家の一人として活動を続けてきました。

2.王国潼から趙寒陽へ――受け継がれた二胡教育

趙寒陽先生を現代二胡史の中で考えるとき、重要なのが王国潼との師弟関係です。

趙寒陽先生は中央音楽学院で王国潼先生に学びました。

その流れをさらに遡ると、

劉天華

陳振鐸・蒋風之ら

王国潼

趙寒陽

という、近代から現代へ続く二胡教育の継承を見ることができます。

もちろん、二胡の発展は一本の師弟関係だけで説明できるものではありません。

多くの演奏家、教育家、民間音楽家、作曲家、製作家たちの影響が重なり合って現在の二胡が作られています。

しかし、「誰が誰から学び、それをどのように次の世代へ伝えたのか」を見ることによって、二胡教育が世代を越えて発展してきた一つの流れが見えてきます。

劉天華が近代二胡教育の基礎を築き、その弟子たちが受け継ぎ、王国潼らの世代が現代へ発展させる。

そして趙寒陽の世代になると、それをさらに教材・理論・映像教育として広く伝える時代へと進んでいきました。

3.趙寒陽の大きな功績――二胡教育を教材として残す

趙寒陽先生を語るうえで欠かせないのが、数多くの二胡教材・専門書を残してきたことです。

二胡の基礎練習、演奏技術、作品研究、子どもの二胡教育、考級(グレード試験)など、非常に幅広い分野について執筆しています。

資料によって著作数の記載には違いがありますが、数多くの二胡著作と学術論文を発表しており、中国二胡界でも特に教育・研究に力を注いできた人物の一人です。

代表的な著書の一つに、

《二胡演芸知識500問》(二胡演艺知识500问)

があります。

二胡を学んでいると、

「この奏法はどうやって弾くのか」

だけでなく、

「なぜこのように弾くのか」
「どのような音を目指すのか」
「この技術にはどのような意味があるのか」

という疑問が出てきます。

そうした演奏・教育上の知識を整理して、学習者が理解できる形にして残すことも、二胡教育家の重要な仕事です。

4.演奏できることと、教えられることは違う

私は二胡教育において、ここは非常に大切なところだと思っています。

優れた演奏家が、必ずしも優れた教育家であるとは限りません。

自分自身が自然にできることでも、それを初めて学ぶ人に、

「どこを、どう動かせばよいのか」
「なぜうまくいかないのか」
「どう練習すればできるようになるのか」

を説明するためには、演奏とはまた違う能力が必要になります。

趙寒陽先生の仕事を見ると、演奏技術を自分の経験だけにとどめるのではなく、分析し、言葉にし、教材として整理していこうとする姿勢を見ることができます。

演奏技術を「教えることのできる技術」に変える。

これは現代二胡教育の発展において非常に重要なことだと思います。

5.インターネットのない時代に、テレビで二胡を教える

趙寒陽先生の教育活動で特に興味深いのが、早い時期から映像による二胡教育に取り組んでいたことです。

まだインターネットが普及していなかった1991年、中国中央テレビ(CCTV)と協力し、

《児童学二胡》(儿童学二胡)

の原稿を担当するとともに、自ら講師として出演しました。

その後も、考級(グレード試験)指導など、多くの映像教材を制作しています。

今ではYouTubeやオンラインレッスンなど、映像を見ながら楽器を学ぶことは珍しくありません。

しかし当時は、まだインターネットも現在のように普及していない時代です。

それまで二胡を習うためには、基本的には先生のところへ行き、直接指導を受ける必要がありました。

テレビや映像教材を使えば、遠く離れた場所にいる学習者にも二胡を教えることができます。

これは、二胡教育の届け方を大きく広げるものでした。


6.一人の先生から、多くの学習者へ

一人の先生が直接教えることのできる生徒の人数には限界があります。

しかし、教育方法を整理し、教材として残し、さらに映像として残すことができれば、その教育は先生の教室を越えて広がっていきます。

何百人、何千人、さらにその先の学習者へ二胡を伝えることも可能になります。

ここに私は、趙寒陽先生の教育活動の大きな意味があると思います。

中央音楽学院で専門家を育てるだけではなく、教材やテレビを通して、より広い社会へ二胡教育を届けていったからです。

二胡の普及には、素晴らしい演奏を聴かせることも必要です。

しかし、

「自分も二胡を弾いてみたい」

と思った人が、実際に学ぶことのできる環境を作ることも同じくらい重要です。

7.プロだけではない――子どもから大人の二胡愛好家まで

趙寒陽先生の教育活動でもう一つ注目したいのは、専門家を目指す学生だけを対象にしていないことです。

中央音楽学院で専門的な二胡人材を育成する一方、子どもから大人まで、幅広い二胡愛好家に向けた教育・普及にも積極的に取り組んできました。

《児童学二胡》のような子ども向け教材。

一般の二胡学習者にも役立つ著書。

考級(グレード試験)の教材や映像。

そして時代がインターネットへ移ると、中国のインターネット上でも二胡に関する情報や教育内容を発信し、二胡愛好家へ学びを届けています。

つまり、

プロの二胡奏者を育てる。
子どもに二胡の基礎を教える。
大人の二胡愛好家の学びを支える。

これらを幅広く行ってきたところに、趙寒陽先生の教育家としての特徴があります。

そして教育の方法も、

対面教育 → 教材 → テレビ・映像 → インターネット

へと、時代とともに広がっていきました。

これは二胡教育の現代史を考えるうえで、非常に興味深い変化です。

8.《賽馬》から見る「演奏技術を言葉にする」教育

趙寒陽先生の著作では、二胡の代表曲《賽馬》などについても演奏技術が細かく解説されています。

例えば、

噴弓
顫指音(打音・モルデント)
頓弓(スタッカート)
連頓弓(連続スタッカート)
撥弦(ピチカート)

などです。

しかし、ここで大切なのは、特殊な演奏技術をたくさん使うことではありません。

「その技術を何のために使うのか」

を理解することです。

例えば《賽馬》では、撥弦(ピチカート)によって馬蹄の響きを表現する箇所があります。

これは単に「二胡で弦を弾く」という特殊奏法を見せるためではありません。

草原を走る馬の姿や、馬蹄のリズム、蒙古の音楽的な雰囲気を表現するために使われています。

つまり二胡の特殊奏法は、単なる技巧ではなく、音楽の情景や民族的な特色を表現するための手段なのです。


9.技術は音楽を表現するためにある

これは二胡を学んでいる方にも、ぜひ理解していただきたいことです。

噴弓ができる。

快弓が速く弾ける。

スタッカートができる。

ピチカートができる。

もちろん技術を身につけることは大切です。

しかし、技術そのものが演奏の目的ではありません。

何を表現したいのか。

そのために必要な技術を使うのです。

私は二胡を教えるときにも、基礎技術を非常に大切にしています。

なぜなら、正しい基礎が身について初めて、自分の表現したい音楽を自由に演奏できるようになるからです。

技術と音楽表現は別々のものではありません。

技術は、音楽を表現するための言葉なのです。

10.演奏家としての趙寒陽

趙寒陽先生は教育家として知られていますが、もちろん演奏家としても活動してきました。

中央音楽学院在学中から音楽コンクールで優秀な成績を収め、学院の民族楽団とともに海外公演にも参加しました。

その後もアメリカ、ドイツ、フランス、イタリア、香港、台湾など、さまざまな国や地域で演奏・講義を行い、中国の二胡芸術を紹介してきました。

また、《月夜》《漢宮秋月》などを収録した二胡演奏の録音も残しています。

つまり趙寒陽先生は、

演奏する人
教える人
教材を書く人
演奏法を研究する人

という複数の役割を持った二胡家なのです。

11.私が趙寒陽先生から感じる「教育を残す」ということ

二胡を長年教えてきた私にとって、趙寒陽先生の活動の中で特に興味深いのは、教育を形として残してきたことです。

素晴らしい演奏を残すことはもちろん重要です。

しかし教育家には、もう一つ大切な役割があります。

自分が弾けるだけではなく、

「どうすれば次の人が弾けるようになるのか」

を考えなければなりません。

そして、その方法を整理して教材や映像として残すことができれば、自分が直接会うことのできない人にも教育を届けることができます。

私自身も二胡教育に携わる中で、初心者が基礎から段階的に学べるように教育内容を体系化し、教材を作り、講師を育て、現在では対面だけでなくオンラインでも学べる環境づくりを続けています。

時代や方法、規模は違いますが、

二胡の技術を整理し、分かりやすく伝え、次の世代へ残す。

これは二胡教育に携わる者にとって、とても大切な仕事だと私は考えています。


12.趙寒陽が現代二胡に残したもの

劉天華が近代二胡教育の基礎を築き、その弟子たちが受け継ぎ、王国潼らの世代が現代二胡へ発展させました。

そして趙寒陽先生は、その流れを受け継ぎながら、二胡の演奏技術を研究し、教材・著作・映像教育として、さらに広い学習者へ伝えてきました。

ここに趙寒陽先生の現代二胡史における重要な位置があると思います。

二胡が現在これほど多くの人に学ばれている背景には、舞台の上で活躍した演奏家だけではなく、長い時間をかけて教材を作り、教え方を研究し、次の世代を育ててきた教育家たちの存在があります。

演奏を残す。
作品を残す。
教材を残す。
そして「教え方」を残す。

さらに趙寒陽先生の場合、その教育は専門家だけにとどまりませんでした。

子どもから大人の二胡愛好家まで。

大学の教室からテレビへ。

そして映像からインターネットへ。

二胡教育をより多くの人へ届けていく。

趙寒陽先生の歩みは、現代二胡史における「教育の継承・体系化・普及」を考えるうえで、非常に重要な存在だと思います。

そして、その教育の流れは現在も次の世代へと受け継がれています。

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この記事を書いた人

二胡演奏歴50年以上
二胡製作研究家
高級二胡専門店「名師堂」代表
SOBOKU二胡スクール代表
初心者からプロまで1,000名以上を指導。

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