中国二胡の歴史をたどると、20世紀前半に劉天華が近代二胡の基礎を築き、その後、多くの演奏家・教育家によって演奏技術や教育体系が発展してきました。
王国潼、閔恵芬、趙寒陽など、現代二胡の発展に大きな役割を果たした人物について、これまで「曽朴の二胡ブログ」でも紹介してきました。
そして、さらに次の世代へと二胡芸術をつなぎ、中国国内だけでなく世界の舞台へ広げてきた代表的な演奏家の一人が、宋飛(宋飞/ソン・フェイ)です。
宋飛は優れた二胡演奏家であるだけではありません。
二胡をはじめ、古琴や高胡など中国の伝統楽器を幅広く学び、中国民族音楽そのものを深く理解しながら、演奏・教育・普及の各分野で活動してきました。
今回は宋飛の歩みを通して、現代二胡が「演奏する芸術」から「世界へ伝え、次の世代へ継承する芸術」へどのように発展してきたのかを見ていきたいと思います。
1.宋飛とは
宋飛は、中国を代表する二胡演奏家・教育家の一人です。
7歳から、父である宋国生の指導を受けて二胡を学び始めました。
宋国生は天津音楽学院教授を務めた二胡演奏家・教育家です。
つまり宋飛にとって二胡は、幼い頃から身近にある楽器であると同時に、父から受け継いだ音楽でもありました。
1981年に天津音楽学院附属中学校へ進学。
1987年には中国音楽学院器楽系へ入学し、二胡だけではなく古琴についても本格的に学びます。
1991年に卒業した後、中央民族楽団の二胡独奏演奏家となりました。
さらに1998年には文化部の民族声楽・器楽研究生班で学び、2000年に修了しています。
このように宋飛は、幼少期からの伝統的な二胡教育と、音楽院における専門教育の両方を経験しながら、演奏家として成長していきました。

2.若い頃から注目された二胡演奏家
宋飛は中学生の頃から、中国国内で開催された多くの民族楽器コンクールに参加し、早くから高い評価を受けました。
1989年には、第1回「ART杯」中国楽器国際コンクール青年専門部門で一等賞を受賞。
同年、第1回「山城杯」全国民族器楽テレビコンクールでも二等賞を受賞しています。
1991年には中国音楽学院の学院大賞を受賞しました。
こうした実績を重ねながら、宋飛は中国を代表する若手二胡演奏家として注目されるようになります。
しかし、宋飛の活動で特に重要なのは、コンクールでの受賞だけではありません。
その後、彼女は二胡を中国国内だけの楽器としてではなく、世界の聴衆に聴いてもらうための演奏活動を積極的に行っていきます。

3.二胡を世界の舞台へ
宋飛は長年にわたり、世界各地で中国民族音楽を演奏してきました。
アメリカのカーネギーホールをはじめ、ヨーロッパなど各国の舞台に立ち、中国の民族音楽を紹介しています。
特に大きな出来事の一つが、ウィーン楽友協会「黄金のホール」での演奏です。
1998年、1999年の春節には、中国民族楽団とともにこの舞台に立ち、二胡を演奏しました。
現在では二胡奏者が海外で演奏する機会も増えています。
しかし当時、世界的に知られるクラシック音楽の舞台で中国民族楽器を演奏することは、二胡という楽器を国際社会へ紹介するうえで大きな意味を持っていました。
二胡は中国の民族楽器でありながら、その美しい音色には国境を越えて人の心に届く力があります。
宋飛は演奏を通して、その可能性を世界に伝えていった演奏家の一人なのです。
4.《野蜂の飛行》を二胡で演奏
1990年代、宋飛は指揮者・鄭小瑛が率いた女性楽団とともに、中国各地の大学などを訪れ、中国民族音楽を広める活動にも取り組みました。
またヨーロッパ公演も行っています。
その公演のアンコールで宋飛が二胡で演奏した曲の一つが、リムスキー=コルサコフの
《野蜂の飛行》(Flight of the Bumblebee)
でした。
非常に速い音の動きを持つ西洋クラシックの名曲を二胡で演奏することは、当時の西洋の聴衆にとって大きな驚きだったことでしょう。
ここには現代二胡の一つの大きな変化が表れています。
昔の二胡は、主に地方音楽や民間音楽の中で演奏されていました。
しかし演奏技術の発展、音域の拡大、楽器そのものの改良などによって、二胡はさまざまな音楽を表現できる独奏楽器へと発展しました。
宋飛の演奏活動は、その現代二胡の可能性を世界に示したものとも言えるでしょう。
5.「華韻九芳」と民族音楽の普及
1996年、宋飛は9人の中国民族楽器の女性演奏家とともに、「華韻九芳」を結成しました。
目的は、中国民族音楽の演奏だけではありません。
民族音楽を研究し、より多くの人に伝え、新しい時代の聴衆にその魅力を知ってもらうことでした。
伝統音楽というと、
「昔の音楽」
「難しい音楽」
と思われることがあります。
しかし伝統は、ただ昔の形を保存するだけでは続いていきません。
演奏家がその価値を理解し、現代の聴衆へ伝え続けることによって、初めて次の時代へ受け継がれていきます。
宋飛の活動には、こうした伝統と現代をつなぐ姿勢が一貫して見られます。
6.13種類の楽器を演奏した《弦索十三弄》
宋飛という演奏家を理解するうえで、非常に興味深い演奏会があります。
2002年、北京で開催された個人独奏会
《弦索十三弄》
です。
この演奏会で宋飛は、二胡だけではなく、高胡、古琴、琵琶など、13種類もの中国民族楽器を演奏しました。
これは一般的な二胡独奏会とは大きく異なります。
宋飛は二胡だけを単独で研究するのではなく、中国民族音楽全体の中から二胡を見ている演奏家なのです。
古琴の音楽、地方の民間音楽、さまざまな民族楽器、そして西洋音楽。
こうした幅広い音楽から学ぶことによって、二胡の表現にも新しい可能性が生まれます。
宋飛の演奏が、力強さと繊細さの両方を持っている理由の一つも、こうした幅広い音楽経験にあるのではないでしょうか。
7.宋飛の演奏の特徴
宋飛の二胡演奏は、単に技術的に難しい曲を弾くことだけを目的としていません。
彼女は作品の「意・情・趣」を大切にし、自然で流れるような演奏表現を追求してきました。
中国古典音楽や民間音楽の表現を学ぶ一方、西洋音楽の演奏表現も吸収しています。
そのため、力強く大きな表現から、繊細で柔らかな音色まで、幅広い音楽表現を持っています。
私は二胡を学ぶうえで、これは非常に大切なことだと思います。
演奏技術はもちろん必要です。
しかし、
技術は音楽を表現するためにあります。
速く弾けること、難しい技巧ができることだけが二胡の目的ではありません。
その曲が何を伝えようとしているのか。
どのような情景なのか。
どのような感情なのか。
それを音色や運弓、音程、強弱、間の取り方などによって表現することが、本当の演奏につながっていきます。

8.演奏家として活躍していた時期に教育の道へ
宋飛の歩みの中で、私が特に注目したいのが1999年です。
当時、宋飛は演奏家として非常に活躍していました。
ところが、その時期に中国音楽学院で教える道を選びます。
背景には、教育者であった父・宋国生の影響もありました。
しかし、それだけではありません。
自分が演奏家として充実している時期だからこそ、その経験や技術を若い世代へ伝えたいという考えがありました。
これは二胡教育を考えるうえで、とても重要なことだと思います。
演奏と教育は別の仕事ではありません。
優れた演奏技術や音楽観を言葉にし、整理し、次の世代へ伝えることによって、その芸術はさらに発展していきます。
9.中国音楽学院で次世代を育成
宋飛は中国音楽学院で長年、二胡をはじめとする民族音楽教育に携わってきました。
2009年には中国音楽学院副院長に就任。
さらに中国の二胡・民族弓弦楽界でも重要な役割を担うようになります。
2021年には中国音楽家協会第9期副主席に選出。
2022年、中国音楽家協会二胡学会が拡充・再編され、中国音楽家協会民族弓弦楽学会となった際には、宋飛が初代会長に選ばれました。
ここからも分かるように、宋飛の役割は一人の二胡演奏家という範囲を超えています。
二胡だけでなく、胡琴を中心とした中国民族弓弦楽器全体の発展と次世代育成にも関わる存在となっています。
10.専門家だけではなく、子どもたちにも二胡を
宋飛の教育活動は、音楽大学でプロの演奏家を育てることだけではありません。
長年、一般の人々や子どもたちに民族音楽の魅力を伝える活動にも取り組んできました。
2018年には、子どもたちを対象とした胡琴のサマーキャンプで芸術総監督を務め、二胡をまったく弾いたことのない子どもたちも参加できる取り組みを行いました。
体験、レッスン、実践、鑑賞、交流などを組み合わせながら、子どもたちに二胡・胡琴芸術の魅力を伝えようとしたものです。
これは趙寒陽先生の記事で紹介した教育活動とも通じるところがあります。
専門家だけが二胡を学ぶのではなく、
子どもから大人まで、より多くの人が二胡に触れられる環境を作る。
現代二胡がここまで広く普及した背景には、このような演奏家・教育家たちの努力があります。
11.劉天華の精神を現代へつなぐ
2021年、宋飛は民族音楽劇《劉天華》に出演し、演奏と歌唱を行いました。
これは非常に象徴的な出来事だと思います。
劉天華は約100年前、二胡を専門的な独奏楽器へ発展させ、教育の中に取り入れ、教材や作品を残しました。
その後、多くの演奏家・教育家がその道を受け継ぎました。
そして宋飛の世代になると、二胡は中国国内だけではなく、世界のコンサートホールで演奏され、音楽大学で専門教育が行われ、子どもや一般の愛好家まで幅広く学ぶ楽器になりました。
つまり、
劉天華が始めた二胡の近代化と教育への道は、世代を超えて現在まで受け継がれているのです。

12.録音・教材を通して残した二胡音楽
宋飛は演奏会だけでなく、録音や教材の制作にも取り組んできました。
代表的なものとして、
《宋飛教二胡》
などの教育資料があります。
また、劉天華作品、華彦鈞(阿炳)作品、劉文金作品をはじめ、《長城随想》《洪湖協奏曲》など、多くの二胡作品の録音にも携わってきました。
録音を残すことには大きな意味があります。
演奏会はその場で消えていきますが、録音や映像、教材として残すことで、次の世代の学習者が演奏を聴き、研究することができます。
これも現代二胡教育を支える重要な財産です。
13.宋飛が現代二胡に残したもの
宋飛の活動を振り返ると、大きく四つの特徴が見えてきます。
- 演奏――中国を代表する二胡演奏家として国内外で活動
- 国際化――世界の舞台で中国民族音楽と二胡を紹介
- 教育――中国音楽学院などで次世代の専門家を育成
- 普及・継承――子どもや一般の人々にも胡琴の魅力を伝える
そしてもう一つ忘れてはいけないのが、二胡だけに閉じない広い音楽観です。
古琴、高胡、琵琶をはじめとする中国伝統楽器、民間音楽、古典音楽、そして西洋音楽。
さまざまな音楽を学びながら、二胡という楽器の可能性を広げてきました。
これは現代の二胡演奏家にとっても大切な考え方ではないでしょうか。
まとめ|演奏するだけでなく、次の世代へ伝える
宋飛の歩みを見ると、現代の二胡演奏家に求められる役割がよく分かります。
舞台で素晴らしい演奏をする。
新しい表現を研究する。
世界へ二胡を紹介する。
そして、自分が学んできた技術や音楽を次の世代へ伝える。
このすべてが、二胡という芸術を未来へ残していくために必要なのだと思います。
劉天華の時代から約100年。
二胡は民間音楽の伴奏楽器から専門的な独奏楽器へ発展し、音楽院で学ぶ楽器となり、世界の舞台でも演奏されるようになりました。
その歴史は、一人の天才によって作られたものではありません。
一つの世代が研究し、演奏し、教育し、それを次の世代が受け継ぐ。
その積み重ねによって、今日の二胡があります。
宋飛は、その長い流れの中で、現代二胡の演奏・教育・国際的な普及を次の世代へつなぐ重要な演奏家・教育家の一人と言えるでしょう。
そして二胡の歴史は、現在も続いています。
