二胡の近代史を語るうえで、劉天華(1895~1932)は欠かすことのできない人物です。
劉天華は、それまで主に民間で伝承されてきた二胡を独奏楽器として発展させ、演奏技術、教材、作品、教育方法を整理し、二胡を近代的な専門教育へ導く大きな道を切り開きました。
しかし、二胡の歴史は劉天華一人で完成したわけではありません。
1932年、劉天華は37歳という若さで亡くなります。
その後、彼が築いた二胡の演奏法、教育法、作品、そして民族音楽に対する理念を受け継ぎ、さらに次の時代へ発展させていった弟子たちがいました。
その代表的な人物が、
- 儲師竹(储师竹)
- 陳振鐸(陈振铎)
- 蒋風之(蒋风之)
の三人です。
今回は、劉天華の三大弟子と呼ばれるこの三人を中心に、近代二胡から現代二胡へ、演奏と教育がどのように受け継がれていったのかを見ていきたいと思います。
1.劉天華が二胡の近代化に残したもの
三大弟子を紹介する前に、まず劉天華が何を残したのかを考えてみましょう。
それまでの二胡は、民間音楽や地方音楽、戯曲などの中で演奏されることが多く、現在のように音楽大学で専門的・体系的に学ぶ独奏楽器として十分に確立されていたわけではありませんでした。
劉天華は、伝統的な二胡演奏を大切にしながら、西洋音楽の教育方法や演奏技術も研究しました。
そして、
正しい演奏姿勢、弓の持ち方、運弓、左手の運指、音階、音程、把位(ポジション)、練習曲、独奏曲などを整理し、二胡を段階的に学ぶための近代的な教育の基礎を築いていきました。
また《病中吟》《月夜》《空山鳥語》《光明行》《良宵》など、今日まで演奏され続けている二胡独奏曲を残しています。
つまり劉天華は、二胡を単に「弾く」だけではなく、
演奏する・教える・教材を作る・作品を残す・次の演奏家を育てる
という複数の方向から二胡の未来を作ろうとしたのです。
その考えを受け継いだのが、次の世代でした。

2.儲師竹(储师竹)|劉天華の教えと民間二胡をつないだ教育家
儲師竹は江蘇省宜興出身の二胡演奏家、民族音楽教育家で、劉天華から二胡と琵琶を学んだ代表的な弟子の一人です。
後に中央音楽学院で教鞭を執り、二胡教育と民族音楽の発展に携わりました。
儲師竹を二胡現代史の中で見ると、非常に興味深い役割があります。
それは、劉天華によって体系化された二胡教育と、民間から生まれた二胡芸術をつなぐ役割です。
阿炳の音楽を後世へ伝える
1950年、阿炳(華彦鈞)の演奏が録音され、《二泉映月》《聴松》《寒春風曲》などの二胡作品が後世へ残されました。
しかし録音を残すだけでは、多くの二胡学習者がその音楽を演奏することはできません。
音を聴き取り、楽譜にし、さらに演奏できるように弓法や指法を整理する必要があります。
儲師竹は阿炳の伝世作品の記譜や弓法・指法の整理にも関わり、民間の演奏芸術を後世へ伝える重要な役割を果たしました。
ここには、二胡近代史の面白い交差があります。
劉天華と阿炳は同じ時代を生きましたが、二胡に対する歩みは大きく異なりました。
劉天華は教育・教材・作品によって二胡を体系化し、阿炳は民間生活と即興演奏の中から二胡独自の表現を深めました。
その二つの流れが、次の世代によって少しずつ結びついていったのです。

3.陳振鐸(陈振铎)|教育・教材・作品・楽器改革へ
陳振鐸(1904~1999)は、劉天華の代表的な弟子の一人であり、二胡演奏家、教育家、作曲家、民族楽器研究家として長く活躍しました。
陳振鐸の大きな功績は、劉天華が始めた二胡の近代化を受け継ぎ、それをさらに、
教育・教材・研究・作曲・楽器改革
へと広げていったことです。
多くの二胡教材・研究書を残す
陳振鐸は生涯にわたり二胡教育と研究を続けました。
主な著作・研究には、
『劉天華先生紀念冊』
『南胡曲選』
『怎樣習奏二胡』
『民間鑼鼓』
『二胡演奏法』
『劉天華作品研究』
『劉天華的創作与貢献』
などがあります。
これらを見ると、陳振鐸は劉天華から学んだ演奏技術だけを伝えたのではないことが分かります。
「劉天華が二胡に何を残したのか」を研究し、それを文章・教材・教育として後世へ残そうとしたのです。
これは現代の二胡教育を考えるうえで非常に大切な仕事です。
50曲を超える作品・編曲
陳振鐸は作曲・編曲にも力を注ぎました。
《雨後春光》
《田園春色》
《山村初暁》
《秧歌舞曲》
《蘭花花》
《社員都是向陽花》
《紅梅賛》
《送大哥》
《軍民大生産》
など、数多くの二胡作品・編曲作品を残しています。
教材だけでなく、実際に学習者や演奏家が演奏する作品を残したことも、二胡の普及に大きな意味を持ちました。
4.陳振鐸と二胡の楽器改革
陳振鐸の仕事でもう一つ注目したいのが、二胡そのものの改良です。
近代から現代にかけて、二胡は演奏技術だけでなく楽器そのものも変化してきました。
陳振鐸は琴筒の形状など二胡の構造について研究・改良を行い、また、従来の絹弦から金属弦へ移行していく改革にも積極的に関わりました。
弦を変えることは、単に素材を変えるだけではありません。
音量や音色、発音の反応、運弓、左手の押弦、さらに演奏表現そのものにも影響します。
現在、私たちは金属弦を張った二胡を当たり前のように使用しています。
しかし現在の二胡の姿になるまでには、多くの演奏家、教育家、研究者、製作者による長年の試行錯誤がありました。
陳振鐸は、
「教える」「教材を作る」「研究する」「作曲する」「楽器を改良する」
という幅広い活動によって、劉天華の理念を現代二胡へつないだ人物だったと言えるでしょう。

5.蒋風之(蒋风之)|二胡を高度な独奏芸術へ
蒋風之(1908~1986)は、江蘇省宜興出身の二胡演奏家・教育家です。
二胡を長く学んでいる人であれば、蒋風之という名前、そして代表的な《漢宮秋月》を聞いたことがあるのではないでしょうか。
劉天華が二胡の近代化への道を切り開いたとすれば、蒋風之はその成果を受け継ぎながら、二胡独奏芸術をさらに高い水準へ発展させた人物の一人です。
二胡だけではない幅広い音楽経験
蒋風之は上海芸術大学音楽系、上海国立音楽院、北平大学芸術学院音楽系などで学びました。
二胡を専門的に学ぶ一方、小提琴(バイオリン)やピアノなどの西洋楽器についても学び、琵琶の演奏にも優れていました。
複数の楽器と音楽文化を学んだ経験は、後に蒋風之独自の二胡演奏理論を形成する重要な土台となりました。
劉天華が開いた道をそのまま歩くだけではなく、そこからさらに自分自身の音楽を追究したのです。
6.《漢宮秋月》と「蒋派二胡芸術」
蒋風之を代表する作品として知られているのが《漢宮秋月》です。
その演奏には、繊細で含蓄のある表現、深い情感、音色の変化、独特の間と余韻があります。
二胡は、ただ大きな音を出したり、速い技巧を演奏したりするだけの楽器ではありません。
一本の長い音。
わずかなビブラートの変化。
滑音。
弓の速度。
弓圧。
音と音の間。
そうした細かな変化によって、人間の内面にある複雑な感情を表現することができます。
蒋風之は、この二胡の可能性を深く追究しました。
そして長年の演奏・研究を通して形成された独自の演奏体系は、後に「蒋派二胡芸術」と呼ばれるようになります。
その芸術的特徴は、
「古朴典雅・剛柔相済・細膩深邃・内在含蓄」
という言葉で表現されます。
古典的で品格があり、強さと柔らかさを併せ持ち、繊細で深く、感情を外へ誇張するのではなく内側から表現する。
これは、中国伝統芸術が大切にしてきた美意識にもつながっています。
7.蒋派二胡芸術が受け継いだもの
蒋風之の演奏体系には、一つの時代や一人の作曲家だけではなく、それまでに形成されたさまざまな二胡音楽が含まれています。
《漢宮秋月》《薫風曲》《悲秋》などの伝統作品。
劉天華の《病中吟》《苦悶之謳》《月夜》などの作品。
阿炳(華彦鈞)の《二泉映月》《聴松》などの民間二胡作品。
さらに孫文明の《流波曲》などです。
ここが二胡現代史を考えるうえで重要です。
二胡は新しいものが古いものを消して発展したのではありません。
民間音楽、伝統音楽、劉天華による近代化、西洋音楽から学んだ技術、新しい作品――それらを吸収しながら発展してきたのです。
蒋派二胡芸術も、その大きな流れの中から生まれました。

8.蒋風之が残したもう一つの財産――人材育成
蒋風之の功績は、演奏だけではありません。
彼は生涯にわたり二胡の専門教育と普及活動に力を注ぎ、各地で二胡を教え、多くの演奏家・教育家を育てました。
その指導を受けた次世代には、劉北茂、丁璫、藍玉崧、張韶、聶靖宇、王国潼、厳忠暄、田保安、安如礪、蒋青など、多くの二胡演奏家・教育家がいます。
特にここから、二胡現代史の次の時代へつながっていきます。
劉天華
↓
蒋風之
↓
王国潼ら次世代
↓
現代の二胡演奏・専門教育
という流れです。
一人の優れた演奏家が残せるものには限りがあります。
しかし、教育によって次の演奏家や指導者を育てれば、その考えや技術はさらに次の世代へ伝わります。
劉天華が若くして亡くなったにもかかわらず、その理念が現在まで生き続けている理由も、ここにあると思います。
9.三大弟子は、それぞれ違う方法で劉天華を受け継いだ
三人の歩みを並べてみると、とても興味深いことが分かります。
儲師竹は、民間音楽の整理・記録・教育。
陳振鐸は、教育・教材・研究・作曲・楽器改革。
蒋風之は、演奏芸術の深化・蒋派二胡芸術の形成・人材育成。
三人とも劉天華から学びました。
しかし、先生から教わったものをそのまま繰り返したわけではありません。
それぞれが自分の研究、自分の演奏、自分の教育を加え、二胡をさらに次の時代へ進めました。
私は、ここに「伝承」の本当の意味があると思います。
伝統を守るということは、昔とまったく同じことを繰り返すことではありません。
先人が残したものを理解し、その本質を大切にしながら、その時代に必要な教育・教材・作品・演奏へと発展させ、次の世代へ渡していくことです。
10.近代二胡から現代二胡へ
ここまで二胡の歴史を見てくると、一つの大きな流れが見えてきます。
民間に伝わってきた胡琴・二胡
↓
周少梅らによる演奏技術の発展
↓
劉天華による近代二胡の体系化
↓
儲師竹・陳振鐸・蒋風之らによる継承と発展
↓
次世代の演奏家・教育家
↓
現代の二胡専門教育
現在、私たちが二胡を学ぶとき、
正しい演奏姿勢、弓の持ち方、長弓、各種運弓、左手の運指、音階、音程、把位、練習曲、独奏曲などを段階的に学びます。
しかし、この教育方法が最初から存在していたわけではありません。
何世代もの二胡演奏家・教育家が研究し、失敗と改良を繰り返し、教材を作り、後継者を育ててきた結果として、現在の二胡教育があります。
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11.私が二胡の歴史から学んでいること
私自身、長年二胡を演奏し、日本で二胡を教えながら、教材作りや講師育成にも取り組んできました。
二胡の歴史を学べば学ぶほど、演奏だけでは二胡文化を次の世代へ残すことはできないと感じます。
優れた演奏を残すことはもちろん大切です。
しかし、それと同時に、
正しい基礎を教える教育体系を作ること。
初心者にも理解できる教材を残すこと。
二胡を正しく教えることのできる講師を育てること。
そして中国民族音楽が持つ本来の美しさを伝えること。
これらも必要です。
一人の先生が直接教えることのできる生徒の人数には限界があります。
しかし、教育方法と教材を残し、さらに次の指導者を育てることができれば、その先には何百人、何千人という学習者へ二胡を伝えていく可能性があります。
劉天華から三大弟子へ。
三大弟子から、さらに次の世代へ。
そして現在へ。
二胡は、このように人から人へ受け継がれながら発展してきました。
私も日本でもっと二胡を学ぶ人を増やし、日本人の二胡講師を育て、二胡の基礎を段階的に学べるシリーズ教材を残していきたいと思っています。
二胡の美しい音色と中国民族音楽の魅力を、これからの世代へ伝えていきたい。
それが、二胡の歴史を学びながら、私自身が改めて感じていることです。

まとめ
劉天華が蒔いた種は、弟子たちによって現代へ
劉天華が切り開いた近代二胡の道は、彼の死によって途絶えませんでした。
儲師竹は民間音楽の記録と教育へ。
陳振鐸は教材・研究・作曲・楽器改革へ。
蒋風之は二胡独奏芸術をさらに深め、「蒋派」という新たな演奏体系を築き、人材を育てました。
そして、その弟子たちがさらに次の世代を育てました。
こうして見ると、二胡の発展とは、一人の天才によって突然起きたものではありません。
先人から学び、自分の時代に合わせて発展させ、次の世代へ渡す。
その積み重ねこそが、現在の二胡を作ってきたのだと思います。
二胡の歴史を知ることは、昔の人物を知るためだけではありません。
「私たちは何を受け継ぎ、これから何を残していくのか」
それを考えることでもあります。
そして、ここから中国二胡はさらに大きな変化を迎えます。
次の世代には王国潼をはじめとする新しい演奏家・教育家たちが登場し、音楽学院での専門教育、演奏技術、作品の創作、さらには楽器の改良など、多方面で発展が進んでいきます。
ここから、いよいよ「二胡近代史」から「二胡現代史」へと移っていきます。
