二胡を学ぶ方にとって、劉天華(りゅう・てんか)は決して避けて通ることのできない人物です。
現在、二胡が独奏楽器として舞台で演奏され、音楽大学や二胡教室で体系的に学ばれ、幅広い音域と多彩な演奏技術によって豊かな感情を表現できるようになった背景には、劉天華の大きな功績があります。
劉天華は、単に二胡の演奏技術を改良した人物ではありません。
二胡を学校教育へ導入し、演奏方法を整理し、練習曲や独奏曲を作り、次の世代を育て、中国の民族音楽が近代社会の中で生き続けるための道を切り開きました。北京大学では国楽の指導に携わり、国楽改進社や『音楽雑誌』を通して、民族音楽の教育・創作・研究・普及を進めました。
劉天華の改革は、中国音楽を西洋化するためのものではありません。
中国音楽が持つ旋律、音色、気韻、写意性などの精神を守りながら、西洋音楽の優れた教育方法や演奏技術を取り入れ、二胡を新しい時代にふさわしい芸術楽器へ発展させるための改革でした。
今回は、近代二胡の基礎を築いた劉天華の生涯と、二胡の演奏・教育・教材・普及に残した功績について、二胡愛好家の皆さんに分かりやすくご紹介します。
劉天華とは
劉天華は、1895年に江蘇省江陰で生まれ、1932年に37歳で亡くなった作曲家、二胡演奏家、二胡教育家です。短い生涯の中で、二胡を中心とする中国民族音楽の創作、演奏、教育、研究、普及に力を尽くしました。
代表的な二胡独奏曲には、
• 《病中吟》
• 《月夜》
• 《苦悶之謳》
• 《悲歌》
• 《空山鳥語》
• 《閑居吟》
• 《良宵》
• 《光明行》
• 《独弦操》
• 《燭影揺紅》
があります。
劉天華が残した10曲の二胡独奏曲は、現在も二胡学習者にとって重要なレパートリーとして演奏されています。
また、47曲の二胡練習曲を作り、演奏技術を段階的に学ぶための基礎を整えました。
劉天華は、二胡を民間の伴奏楽器としてだけではなく、人間の感情、自然の情景、社会への思い、未来への希望まで表現できる独奏楽器へと発展させた人物です。

20世紀初頭、民族音楽が直面していた危機
20世紀初頭の中国では、社会制度や教育制度が大きく変化していました。
西洋式の学校教育が広がり、楽典、視唱、作曲法、器楽教育などに西洋音楽の体系が取り入れられる一方、二胡や琵琶などの民族楽器は、近代的な教育制度の中で十分な地位を得られていませんでした。
伝統的な民族音楽は、主に師匠から弟子へ直接伝える口伝によって受け継がれていました。
口伝には、細かな音色や地域独自の表現を直接伝えられる良さがあります。しかし、教材や楽譜が残らなければ、優れた技術や楽曲が演奏家の死とともに失われてしまう危険もあります。
劉天華は、民族音楽の精神を守るだけでは、近代社会の中で安定して継承することは難しいと考えました。
伝統を未来へ残すためには、学校教育で使用できる教材、共通の指導方法、楽譜、練習曲、演奏体系を整える必要がある。
この考えが、劉天華の二胡教育と国楽改革の出発点になりました。

民間音楽の中で育った劉天華
劉天華の音楽の原点は、江南地方の豊かな民間音楽にありました。
幼い頃から地域の音楽に親しみ、のちに二胡、琵琶、古琴などの民族楽器を学びました。また上海では西洋楽器や西洋音楽にも触れ、中国音楽と西洋音楽の双方を研究しました。
劉天華は、西洋音楽を学んだからといって、中国の伝統音楽を否定したわけではありません。
むしろ、中国音楽の価値をより深く理解し、その魅力を新しい時代に伝えるために、西洋音楽の理論、記譜法、教育方法、演奏技術を研究したのです。
この姿勢が、劉天華の「伝統を根本に置きながら、新しいものを取り入れる」という改革につながりました。
周少梅との出会い
劉天華の二胡人生を語るうえで、周少梅との出会いは非常に重要です。
周少梅は、二胡の左手の把位(ポジション)を上・中・下の三つに広げる「三把位」を研究し、民族音楽教育や二胡教材作りにも取り組んだ先駆者です。
それまで限られた音域で演奏されることが多かった二胡に三つの把位を取り入れ、演奏できる音域と旋律表現の可能性を広げました。劉天華は周少梅から、この「三把頭」と呼ばれる奏法を学んだと伝えられています。
劉天華は周少梅から、
• 二胡と琵琶の演奏法
• 江南地方の民族音楽
• 左手の把位
• 運指
• 運弓
• 民間楽曲の表現方法
などを学びました。
その後、劉天華はこれらをさらに発展させ、より広いポジション移動を用いる演奏体系へと整えていきました。
把位の数については、研究資料や数え方によって「四把位」「五把位」など表現に違いがありますが、周少梅の三把位を土台として、劉天華がさらに高いポジションまで二胡の音域を広げ、演奏法を発展させたことは広く認められています。北京大学の資料には、劉天華が従来の少ない把位を四把位まで発展させたとの説明もあります。
本記事では、現在の二胡教育で用いられる区分に合わせ、第五ポジションまで音域を広げる流れを作ったという考え方で紹介します。
周少梅が築いた三把位と民族音楽教育の土台を、劉天華がさらに発展させ、二胡の音域、運指、運弓、練習曲、教材、独奏作品を近代的な体系へ整えていったのです。
二胡を高等教育の場へ導いた
劉天華の大きな功績の一つは、二胡と琵琶を近代的な高等教育の場へ導入したことです。
それまで二胡は、主に民間で演奏される楽器として扱われ、大学で専門的に学ぶ楽器としては十分に認められていませんでした。
劉天華は北京大学附設音楽伝習所で国楽の指導に携わり、二胡と琵琶を専門的な教育の対象として教えました。これにより二胡は、民間の伴奏楽器という位置づけを越え、演奏、教育、作曲、研究の対象となる芸術楽器へと歩み始めました。
二胡が中国の最高学府の一つで教えられたことは、二胡の社会的な評価を変える大きな出来事でした。
現在では音楽大学で二胡を専攻し、専門的に研究することは珍しくありません。
しかし、その道を切り開いた先駆者が劉天華だったのです。

口伝から体系的な二胡教育へ
多くの学生が同じ基準で二胡を学ぶためには、従来の口伝だけではなく、演奏技術と教育内容を整理する必要がありました。
学校の授業では、教師の演奏をまねるだけではなく、基礎から段階的に学べる共通のカリキュラムが必要になります。
そのためには、
• 正しい演奏姿勢
• 正しい弓の持ち方
• 運弓の仕方
• 左手の運指の仕方
• 六つの調の音階
• 第五ポジションまでの把位移動と音域の拡大
• 二度、三度、五度などの音程
• 三拍子をはじめとするリズム
• 楽曲の表現方法
などを整理しなければなりません。
劉天華は、二胡の演奏技術を項目ごとに整理し、それぞれを段階的に練習できるように47曲の二胡練習曲を作りました。
周少梅の『国楽講義』などに見られる初期の教材作りを受け継ぎながら、劉天華の47曲の練習曲によって、二胡教育はより専門的で体系的なものへ発展しました。
現在、二胡教室や音楽大学で、
基礎練習
↓
音階
↓
音程
↓
運弓
↓
把位移動
↓
練習曲
↓
独奏曲
という順番で学ぶことは一般的です。
その基礎を近代的な教育体系として整えた中心人物の一人が、劉天華でした。
六つの調を取り入れ、二胡の演奏範囲を広げた
二胡は、調によって左手の指の位置関係や運指の形が変わります。
劉天華は、一つの調だけではなく、複数の調を練習に取り入れ、二胡で表現できる旋律と調性の幅を広げました。
六つの調を体系的に学ぶことで、
学習者は、
• 各調の音階
• 左手の指の間隔
• 半音と全音の関係
• 開放弦と押弦音の関係
• 調による音色の違い
• 曲に合わせた運指
を理解できるようになります。
一つの曲を暗記するだけではなく、調の構造を理解し、さまざまな楽曲へ対応できる演奏力を育てる。
この考え方は、現在の二胡基礎教育にもつながっています。
二胡の音域と演奏技術を大きく広げた
劉天華は、周少梅から学んだ把位(ポジション)の考え方を、さらに発展させました。
従来の二胡では、限られた範囲で演奏することが多く、高い音域を自由に使うことは簡単ではありませんでした。
劉天華はポジション移動を発展させ、現在の教育上の区分では第五ポジションまでつながる広い音域を使用できる道を開きました。
これにより、
• より高い音域を演奏できる
• 複雑な旋律を表現できる
• 音域による音色の変化を生かせる
• 独奏曲の表現力が高まる
といった大きな変化が生まれました。
資料によって把位の数え方には違いがありますが、劉天華がポジション移動を発展させ、二胡の演奏音域を大幅に広げたことは、近代二胡史における重要な功績です。
西洋弦楽器の演奏技術を二胡に取り入れた
劉天華は、伝統的な二胡奏法を土台にしながら、西洋弦楽器の優れた演奏技術も研究しました。
特に、
• 長弓の運弓テクニック
• ビブラート
• トレモロ
• ポジション移動
• 音量の強弱
• 弓の速度と圧力の調整
などを二胡に取り入れ、二胡の表現力を豊かにしました。
北京大学の資料でも、劉天華がヴァイオリンの長弓や揉弦などを二胡の演奏技術へ取り入れたことが紹介されています。
ただし、西洋弦楽器の技術をそのまま二胡へ移したわけではありません。
二胡には、
• 二本の弦の間に弓毛が通る
• 琴筒の皮を振動させて音を出す
• 指板がない
• 弦を指板へ押しつけない
• 人の声に近い音色を持つ
という独自の構造があります。
劉天華は、二胡本来の音色、中国音楽の五声音階、余韻、気韻、写意的な表現を守りながら、西洋弦楽器の技術を二胡に合う形へ発展させました。

伝統を守りながら、新しいものを取り入れた
劉天華が活動した時代、中国の音楽界には大きく二つの考え方がありました。
一つは、外来の音楽を拒み、従来の方法だけを守ろうとする考え方です。
もう一つは、中国音楽を否定し、西洋音楽へ全面的に移行しようとする考え方です。
劉天華は、そのどちらにも偏りませんでした。
中国民族音楽には独自の価値、美意識、音色、文化的な精神がある。
しかし、その伝統を未来へ残すためには、時代に合った教育方法、記譜法、演奏技術、発信方法を取り入れなければならない。
このように考えたのです。
劉天華の改革は、中国音楽を西洋化することではありません。
中国音楽が自らの根と魂を守りながら、近代化するための改革でした。
江陰市政府や中央音楽学院の資料でも、劉天華は西洋音楽の技法を中国民族音楽と結びつけ、近現代二胡の演奏・教育の基礎を築いた人物として評価されています。
二胡で表現できる感情を広げた10曲の独奏曲
劉天華以前の二胡には、悲しい音色や民間の伴奏楽器というイメージが強くありました。
劉天華は10曲の二胡独奏曲を通して、二胡が多彩な感情と情景を表現できることを示しました。
《病中吟》
病の苦しみだけでなく、人生への思い、社会への問い、内面的な葛藤を表現した作品です。
《月夜》
静かな月夜の情景と、内面の深い感情を表現した作品です。
《空山鳥語》
山の中で鳥が鳴き交わす情景を、二胡の音色と技巧によって描いています。
《良宵》
穏やかで温かい喜びを表現し、現在も多くの二胡愛好家に親しまれています。
《光明行》
力強く前向きな音楽で、未来への希望と進んでいく精神を感じさせます。
劉天華の作品は、悲しみだけでなく、
• 静けさ
• 自然
• 喜び
• 希望
• 苦悩
• 決意
• 人生への思い
など、二胡で表現できる感情の幅を大きく広げました。
10曲の二胡独奏曲は、現在も劉天華の代表的な功績として高く評価されています。
二胡を多くの人が学べる楽器へ
劉天華は、音楽を一部の専門家だけのものにするのではなく、多くの人が学び、楽しめるものにしたいと考えていました。
優れた演奏家が一人で演奏するだけでは、民族音楽を広く普及させることはできません。
学ぶ人が必要です。
教える人が必要です。
教材が必要です。
練習曲が必要です。
演奏を発表する場所や、音楽について考え、発信する組織も必要です。
劉天華は、作品を作るだけでなく、教育、教材、演奏、団体活動、出版などを通して、二胡を多くの人が共有できる音楽文化へ発展させようとしました。
国楽改進社と『音楽雑誌』
劉天華は、個人の演奏や教育だけでは、国楽全体を発展させることは難しいと考えました。
そこで1920年代後半に国楽改進社を設立し、『音楽雑誌』の編集・発行に取り組みました。
設立年については、北京大学の資料では1927年、江陰市政府の資料では1928年と記されており、資料によって違いがあります。
いずれにしても、1920年代後半に国楽改進社を組織し、雑誌を通して民族音楽の教育、創作、研究、普及を進めたことは共通しています。
国楽改進社では、
• 中国民族音楽の研究
• 楽曲の整理と創作
• 二胡・琵琶教育の推進
• 教材の制作
• 演奏会の開催
• 音楽思想の発信
• 次世代の音楽家の育成
などを目指しました。
これは、中国民族音楽が自らの価値を確認し、新しい時代にふさわしい方向を社会へ発信するための重要な活動でした。
次の世代を育てた教育家
劉天華の功績は、自分が優れた演奏家になったことだけではありません。
教育家として次の世代を育て、二胡の演奏技術と教育理念を広く伝えました。
劉天華の教育を受けた音楽家や、その流れを受け継いだ教育家たちによって、二胡の専門教育はさらに発展していきました。
二胡が現在まで広く伝わった理由は、劉天華が作品だけでなく、教育と人材育成を重視したからです。
一人の演奏家が残せる影響には限りがあります。
しかし、講師を育て、その講師が多くの生徒を指導すれば、技術と文化は世代を越えて広がっていきます。
現代の二胡教育へつながる劉天華の理念
現在の二胡教育では、
• 正しい演奏姿勢
• 正しい弓の持ち方
• 長弓の運弓法
• 各種運弓テクニック
• 左手の運指法
• 各調の音階
• 正確な音程
• ポジション移動
• 練習曲
• 独奏曲
を、基礎から段階的に学びます。
このような教育方法の基礎には、周少梅から劉天華へ、そして次の世代へと受け継がれた二胡教育の流れがあります。
劉天華の功績は、名曲を残したことだけではありません。
二胡を学ぶための道を作り、多くの人が共通の基準で、基礎から段階的に上達できる教育環境を整えたことにあります。
現在、私たちが教材に沿って二胡を学び、基礎練習から独奏曲へ進むことができるのは、劉天華をはじめとする先人たちの努力があったからです。
私たちが劉天華から学べること
劉天華の生涯から、私たちは多くのことを学ぶことができます。
伝統を守るためには、時代に合わせて発展させる必要がある。
伝統を守るためには、ただ昔の方法を繰り返すだけでは十分ではないと思います。
時代に合った教材、教育方法、演奏方法、発信方法を考えなければ、どれほど優れた文化であっても、次の世代へ正しく伝えていくことはできません。
劉天華は、中国音楽の伝統と精神を大切にしながら、近代的な教育制度、教材、記譜法、新しい演奏技術を取り入れました。
それは伝統を壊すための改革ではなく、伝統を未来へ残すための改革でした。
演奏・教育・教材・人材育成のすべてが必要
二胡文化を広げるためには、演奏、教育、教材作り、人材育成のすべてが必要です。
一つの演奏会だけで、二胡文化を広く普及させることはできません。
演奏を聴いて二胡に興味を持つ人を増やすこと。
その人たちが正しく学べる教材を作ること。
丁寧に指導できる講師を育てること。
そして、長く学び続けられる教育環境を整えること。
この積み重ねによって、二胡文化は広がっていきます。
私も劉天華先生を目標に、日本で二胡を広げていきたい
私も劉天華先生を、大きな目標の一人としています。
日本でもっと二胡を広げ、二胡を学ぶ人をさらに増やしたいと思っています。
そのために、私はこれまで、
• 初心者にも分かりやすい二胡
教材の制作
• 基礎から段階的に学べる教育
カリキュラムの構築
• シリーズ教材の制作
• 日本で正しい二胡指導を普及・継承できる講師の育成
• 二胡を長く学び続けられる環境作り
に取り組んできました。
そして、これからも、
• 正しい演奏姿勢
• 正しい弓の持ち方
• 運弓
• 運指
• 音階
• 音程
• ポジション移動
• 練習曲
• 独奏曲
を段階的に学べる教材と教育体系を、さらに充実させていきたいと考えています。
一人の講師が育てば、その講師が多くの生徒へ二胡の魅力と正しい演奏技術を伝えることができます。
その生徒たちが演奏を楽しみ、家族や友人へ二胡の音色を届けることで、二胡を愛する人の輪は少しずつ広がっていきます。
劉天華先生が、演奏、教育、教材作り、人材育成を通して中国の民族音楽を次の時代へつないだように、私も日本における二胡文化の普及と発展に力を尽くしていきたいと思います。
もっと多くの方に二胡を知っていただきたい。
もっと多くの方に二胡を学んでいただきたい。
そして、日本で二胡を正しく指導できる講師を育て、教材と教育の仕組みを次の世代へ残していきたい。
その積み重ねによって、日本の二胡文化をさらに大きく育てていくことが、私の願いです。

まとめ
二胡の未来を切り開いた劉天華
劉天華は、二胡を近代的な独奏楽器へ発展させた改革者です。
・二胡を高等教育の場へ導入した
• 二胡教育を体系化した
• 47曲の二胡練習曲を残した
• 10曲の二胡独奏曲を残した
• 把位移動を発展させ、演奏音域を広げた
• 長弓、ビブラート、トレモロなどの技術を発展させた
• 中国音楽の伝統と西洋音楽の長所を結びつけた
• 国楽改進社と雑誌を通して民族音楽を発信した
• 次の世代の演奏家と教育家を育てた
• 二胡を多くの人が学べる芸術楽器へ発展させた
近代二胡史における重要な音楽家です。
現在、私たちが二胡を専門的な楽器として学び、美しい独奏曲を演奏し、教材に沿って基礎から上達できる背景には、劉天華をはじめとする先人たちの努力があります。
劉天華の改革は、単なる西洋化でも、楽器の技術改良だけでもありません。
中国音楽の根と魂を守りながら、新しい時代と世界へ向けて扉を開いた文化的な改革でした。
形を発展させながら、音楽の魂を守る。
演奏するだけでなく、教材を作り、人を育て、次の世代へ伝える。
この劉天華の精神は、現代の二胡教育と普及においても、大切に受け継いでいくべきものだと思います。
私も劉天華先生を目標に、日本で二胡を学ぶ人を増やし、二胡を正しく指導できる講師を育て、教材と教育体系を次の世代へ残していきたいと考えています。
この記事を通して、一人でも多くの二胡愛好家の方に、劉天華の生涯と功績を知っていただければ、大変嬉しく思います。
