二胡の起源とは?奚琴から胡琴へ発展した歴史を詳しく解説

二胡は、中国を代表する擦弦楽器の一つです。
現在では独奏、合奏、民族楽団、舞台音楽など幅広い分野で演奏されていますが、今の二胡の形や演奏法が、最初から完成していたわけではありません。
二胡の起源については諸説があり、「いつ、どこで、誰が現在の二胡の原型を作ったのか」を明確に断定することは困難です。
しかし、その歴史をたどるうえで重要な存在とされているのが、中国北方の奚族が演奏していた奚琴(けいきん)です。
本記事では、宋代の『楽書』『夢渓筆談』、元代の『元史・礼楽志』などに残された記録をもとに、奚琴から胡琴へ、そして後の二胡へとつながっていく長い歴史を考えていきます。

目次

二胡の起源には諸説がある

二胡の起源として一般によく挙げられるのが、古代中国北方の民族である奚族と、その人々が演奏した奚琴です。
奚族は、南北朝時代以降、現在の内モンゴル自治区にあたる西拉木倫河や老哈河周辺を中心に活動していた民族とされています。
ただし、「南北朝時代に奚族が現在の二胡を作った」とまで断定できる史料は確認されていません。
そのため、より正確には、
奚琴は、二胡を含む後世の胡琴系擦弦楽器の源流の一つと考えられている
と表現するのが適切でしょう。
奚琴がそのまま現在の二胡へ変化したという単純な流れではなく、中国北方の楽器文化が、長い年月の中で周辺地域や中原文化と交わり、さまざまな胡琴類へ発展していったと考えられます。

宋代の『楽書』に記された奚琴

宋代の陳暘が著した『楽書』には、奚琴について次のような記述があります。
奚琴は奚族の人々が好んだ楽器であり、二本の弦を持ち、その間に竹片を挟んで擦って音を出した。
原文では、奚琴について「奚部所好之楽」「其制両絃、間以竹片軋之」と記されています。
この記録から、当時の奚琴にはすでに二本の弦があり、弦を擦って音を出すという、擦弦楽器としての基本的な特徴があったことが分かります。
しかし、現在の二胡のように、馬尾を張った弓を弦の間に通して演奏したのではありません。
当時は、二本の弦の間に細い竹片を挟み、それを動かして弦を擦っていたと考えられています。
したがって、奚琴は現在の二胡につながる特徴を持ちながらも、その構造や音色は大きく異なっていたと考えられます。

竹片から馬尾弓への変化

奚琴の時代には竹片で弦を擦っていましたが、その後、擦弦楽器の演奏方法は大きく変化していきます。
その重要な変化が、馬の尾毛を用いた弓の登場です。
竹片は硬いため、弦との接触を柔らかく調整することが難しく、音量や音色の細かな変化にも限界があったと考えられます。
一方、馬尾を用いた弓は弦に柔軟に接触するため、音を長く伸ばしたり、強弱や表情を細かく変化させたりすることが可能になります。
この変化は、後の胡琴類の音色と演奏表現を大きく発展させる重要な転換点になったと考えられます。

奚琴・稽琴・嵇琴という名称

宋代の文献では、「奚琴」のほかに、「稽琴」や「嵇琴」と表記される例も見られます。
これらがすべて完全に同じ楽器を指していたのか、それとも時代や地域によって構造に違いがあったのかについては、慎重に考える必要があります。
そのため、
奚琴が宋代に入って嵇琴という名前へ完全に変更された
と断定するよりも、
宋代の文献では、奚琴に関連する楽器が稽琴・嵇琴など異なる文字で記録されている
と理解する方が適切でしょう。
いずれにしても、これらの楽器は、後の胡琴系擦弦楽器の歴史を考えるうえで重要な存在です。

『夢渓筆談』に記された徐衍の逸話

北宋の学者・沈括が著した『夢渓筆談』には、稽琴の名手であった徐衍にまつわる興味深い逸話が記されています。
熙寧年間、宮中で宴が開かれ、教坊の楽人である徐衍が稽琴を演奏していました。
ところが、演奏中に二本の弦のうち一本が突然切れてしまいます。
しかし徐衍は楽器を交換せず、残った一本の弦だけで曲を最後まで演奏したと記されています。


原文には、
教坊伶人徐衍奏稽琴、方進酒而一弦絶、衍更不易琴、只用一弦終其曲。
とあります。


この記録は、宋代にはすでに稽琴の演奏技術が相当高い水準に達していたことを示しています。
一本の弦だけで曲を最後まで演奏するためには、正確な音程感覚と高度な左手の技術、そして曲の音域や旋律を瞬時に組み替える能力が必要です。
奚琴が単なる原始的な伴奏楽器ではなく、技術を備えた専門の演奏者によって演奏されていたことがうかがえます。

『夢渓筆談』に現れる「馬尾胡琴」

沈括の『夢渓筆談』には、「馬尾胡琴」という言葉も登場します。
沈括が辺境の兵士たちのために作った凱歌の中に、
馬尾胡琴は漢の軍に随い、その曲調はなお単于を怨むかのようである
という趣旨の一節があります。


原文は、
馬尾胡琴随漢車、曲声猶自怨単于
です。


この詩は楽器の構造を説明した文章ではありません。
しかし、宋代に「馬尾胡琴」という名称が使用されていたことから、馬の尾毛を使った弓で演奏する胡琴が、当時すでに存在していた可能性を示す重要な記録といえます。
一方で、この文献だけでは、胴の形、琴皮、駒、千斤、弓毛の通し方など、具体的な構造までは分かりません。
したがって、この馬尾胡琴を現在の二胡と同じ楽器であると断定することはできません。

唐代以前の記録に馬尾胡琴が見られない理由

中国では、古くからさまざまな音楽や楽器について記録が残されてきました。
しかし、唐代以前の史料には、現在確認できる範囲では、馬尾を用いた弓で二本の弦を擦る胡琴についての明確な記述は多くありません。
その理由については、いくつかの可能性が考えられます。
北方民族の楽器が中原の正式な雅楽体系に含まれず、記録の対象になりにくかった可能性があります。
また、当時の製作技術や演奏技術がまだ十分に確立されていなかった可能性もあります。
しかし、歴代王朝が胡文化を意図的に排斥していたのか、あるいは単に史料が失われたのかについて、明確な根拠はありません。
そのため、現存する記録だけをもとに断定することは避けるべきでしょう。

元代の『元史・礼楽志』に記された胡琴

元代になると、胡琴の構造について、より具体的な記録が現れます。
『元史・礼楽志』には、胡琴について次のように記されています。
胡琴は火不思に似た形で、曲がった頸部と龍の頭を持ち、二本の弦を張る。弓を用いて演奏し、その弓の弦には馬尾を使用する。


原文は、
胡琴、制如火不思、巻頸、龍首、二絃、用弓捩之、弓之絃以馬尾。
です。


この記録から、元代の胡琴には、少なくとも次の特徴があったことが分かります。

  • 二本の弦を持っていた
  • 馬尾を張った弓で演奏していた
  • 曲がった頸部を持っていた
  • 頭部に龍の装飾があった
  • 宮廷の宴楽に用いられていた
    二弦と馬尾弓という点では、後の二胡を含む胡琴類につながる重要な特徴が明確に示されています。
    ただし、胴の形、蛇皮の使用、駒や千斤の構造、弓毛を二本の弦の間に通す方式などについては記されていません。
    そのため、
    元代の胡琴は現在の二胡とほとんど同じであった
    とまでは断定できません。
    より正確には、
    元代には、後の二胡を含む胡琴類につながる二弦・馬尾弓の擦弦楽器が、明確な形で成立していた
    と考えるのが適切です。

元代における北方民族文化と漢文化の融合

元代の支配者はモンゴル族であり、宮廷音楽にはモンゴルや中央アジアなど、さまざまな地域の楽器が取り入れられました。
その中で、胡琴も宴楽の楽器として使用されていました。
『元史・礼楽志』には、胡琴の頭部が龍の形であったことが記されています。


ここからは私自身の考察になりますが、龍は漢文化の中で特別な意味を持つ象徴です。
北方民族に由来する楽器に龍頭を取り入れることで、北方の楽器文化と漢文化を結びつけ、人々に受け入れられやすい形へ変化していった可能性も考えられます。
ただし、「漢文化へ融合させる目的で龍頭が採用された」と直接証明する史料は確認されていません。
これは、楽器の形と当時の文化的背景をもとにした一つの考察として捉える必要があります。

明代・清代に民間へ広がった胡琴

元代以降、胡琴類は宮廷だけでなく、民間の音楽文化にも広く浸透していきました。
中国では、結婚式、葬儀、祭り、廟会、来客の歓迎、龍舞、獅子舞など、生活のさまざまな場面で音楽が演奏されてきました。
こうした民俗行事の中で、胡琴類は持ち運びやすく、人の声に近い音色を持ち、旋律を柔軟に演奏できる楽器として重宝されました。
また、明代から清代にかけて各地の地方戯曲が発展すると、胡琴類は歌唱を支える中心的な擦弦楽器になっていきました。
地方によっては、主旋律を担当する擦弦楽器を「主弦」あるいは「主胡」と呼ぶこともあります。
歌い手の呼吸、言葉の抑揚、感情表現に合わせやすい胡琴の音色は、戯曲音楽との相性が非常に良かったと考えられます。

明代(16世紀頃)の宴席を描いた《麟堂秋宴図》。当時は現在の二胡の前身となる胡琴類の擦弦楽器が演奏されており、宮廷や文人の集まりでも親しまれていました。現代の二胡とは形や演奏法が異なりますが、その発展の過程を知るうえで貴重な資料です

宗教音楽にも取り入れられた胡琴

胡琴類は、民間芸能だけでなく、仏教や道教の儀式音楽にも取り入れられていきました。
法会や道場では、歌唱や読経に合わせて器楽が演奏されます。
胡琴類は、長く音を持続でき、人の声に寄り添うような旋律を演奏できるため、宗教的な場面でも使いやすい楽器でした。
こうして胡琴は、宮廷、民間芸能、祭礼、宗教など、異なる文化領域の中で役割を広げていきました。

地域ごとに発展した多様な胡琴類

中国は国土が広く、地域によって気候、生活習慣、言語、戯曲、民謡、音楽の美意識が大きく異なります。
そのため、二本の弦を持つ胡琴だけでなく、さまざまな材質、構造、音域、音色を持つ擦弦楽器が生まれました。
例えば、胡琴の仲間には次のような楽器があります。

  • 高胡
  • 中胡
  • 低胡
  • 四胡
  • 板胡
  • 京胡
  • 京二胡
  • 椰胡
  • 墜胡
  • 大筒
  • 馬骨胡
    これらはすべて同じ形ではありません。
    木製の胴を持つもの、竹筒を使うもの、椰子の殻を胴に使うもの、板を振動面とするものなど、地域で入手しやすい材料や、必要とされる音色に合わせて発展してきました。
    例えば、中国南部では竹材が身近にあったため、竹筒や竹製の竿を用いる擦弦楽器も多く作られました。
    湖南花鼓戯で使用される大筒や、地域の採茶戯などで使用される擦弦楽器にも、竹材を生かした構造が見られます。

少数民族の擦弦楽器

中国の少数民族の間でも、それぞれの文化や生活を反映した多様な擦弦楽器が発展しました。
代表的なものとして、次のような楽器があります。

  • モンゴル族の馬頭琴
  • ウイグル族の艾捷克
  • チベット族の必旺
  • チワン族の馬骨胡
  • モンゴル地域の四胡
    これらをすべて二胡から直接派生した楽器と考えることはできません。
    擦弦楽器は、中国北方、中央アジア、草原地帯などの広い範囲で、互いに影響を与えながら発展してきたと考えられるからです。
    したがって、これらは、
    馬尾を使った擦弦楽器という共通する原理を持ちながら、各地域や民族の文化の中で独自に発展した楽器
    と理解するのが適切でしょう。
新疆ウイグル族の火不思

胡琴類の種類は増えても、演奏技術の発展は緩やかだった

胡琴類は中国各地へ広がり、数多くの種類が生まれました。
しかし、楽器の種類や用途が増えた一方で、演奏技術は長い間、現在ほど体系化されていなかったと考えられます。
多くの民間演奏では、特定の戯曲や民謡を伴奏することが主な役割でした。
そのため、演奏する調や音域は比較的限られ、第一ポジションを中心に演奏されることが多かったと考えられます。


左手では、現在の二胡演奏のように指先を立て、頻繁にポジション移動を行う奏法ではなく、指の腹や中央関節に近い部分を使って弦を押さえる地域的奏法も見られました。
このような奏法でも、特定の地方音楽や戯曲の情感を表現することはできました。


しかし、広い音域、速い運指、複雑な音程、自由なポジション移動を必要とする独奏曲を演奏するには限界がありました。
つまり、胡琴類は民間に広く普及し、用途や種類を増やしていった一方で、独奏楽器としての演奏技術の発展は、比較的ゆるやかに進んでいったのです。

奚琴から現代二胡へ

奚琴、稽琴、馬尾胡琴、元代の胡琴を、すべて同じ楽器として一直線に結びつけることはできません。
しかし、文献をたどると、次のような大きな変化を見ることができます。


奚琴
二本の弦の間に竹片を挟んで擦る。

宋代の稽琴・馬尾胡琴
専門の演奏者が現れ、馬尾弓を使った胡琴の存在が文献に現れる。

元代の胡琴
二弦、馬尾弓、曲がった頸部、龍頭という具体的な構造が記録される。

明・清代の胡琴類
民間芸能、地方戯曲、祭礼、宗教音楽へ広がり、地域ごとに多様な楽器へ発展する。

近現代の二胡
演奏法、教材、独奏曲、専門教育が整備され、独奏楽器として大きく発展する。


このように、現在の二胡は、一人の人物が一度に完成させた楽器ではありません。
北方民族の楽器文化、中原の音楽文化、宮廷音楽、地方戯曲、民間芸能、宗教音楽などが、長い年月の中で交わりながら形成されてきた楽器です。

まとめ|二胡の起源は中国音楽文化の融合の歴史


二胡の起源について、現在もすべてが明らかになっているわけではありません。
しかし、宋代の『楽書』には、二本の弦を竹片で擦る奚琴が記され、『夢渓筆談』には稽琴の名手・徐衍と馬尾胡琴の記録が残されています。
さらに、『元史・礼楽志』には、二弦、馬尾弓、曲がった頸部、龍頭を持つ胡琴の構造が、より具体的に記されています。
これらの記録から、奚琴を源流の一つとする擦弦楽器文化が、宋代から元代にかけて大きく発展し、その後、明代・清代の民間音楽や戯曲の中で多様な胡琴類へ広がっていったことが分かります。


二胡の歴史は、単に一つの楽器が改良されてきた歴史ではありません。
それは、北方民族と中原文化、宮廷と民間、宗教と芸能、各地域と民族の文化が交わりながら生まれた、中国音楽文化の融合の歴史でもあるのです。
そして、胡琴を独奏楽器として大きく発展させる次の重要な転換点が、近代に登場した劉天華です。


次の記事では、劉天華が二胡の演奏技術、教育、作品、楽器としての地位をどのように変えたのかについて詳しく解説します。

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この記事を書いた人

二胡演奏歴50年以上。
二胡製作研究家。
高級二胡専門店 名師堂代表。
SOBOKU二胡スクール代表。

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