二胡愛好家に知ってほしい周少梅|劉天華と阿炳に影響を与えた近代二胡の功労者

二胡の歴史を語るとき、多くの方が思い浮かべるのは、劉天華と阿炳ではないでしょうか。


劉天華は、二胡の作品や練習曲を残し、演奏法や教育法を整えながら、二胡を近代的な独奏楽器へ発展させた音楽家です。


一方、阿炳、本名・華彦鈞は、江南地方の民間音楽の中で育ち、《二泉映月》《聴松》《寒春風曲》など、深い感情と独特の音色を持つ作品を後世に残しました。


二人は、近代二胡史を代表する音楽家として、現在も広く知られています。


しかし、その劉天華と阿炳に影響を与え、二胡の演奏技術や教育の発展に大きく貢献しながら、現在ではあまり知られていない人物がいます。


その人物が、周少梅(しゅう・しょうばい)です。


周少梅は、二胡の把位(ポジション)と音域を広げ、民族音楽を学校教育に取り入れ、教材を編纂し、多くの人材を育てました。近代二胡の発展を理解するためには、劉天華と阿炳だけでなく、その二人と深く関わった周少梅の存在を知ることが大切です。


今回は、ぜひ二胡愛好家の皆さんに知っていただきたい周少梅の生涯と功績をご紹介します。



目次

周少梅とは




周少梅は、1885年に江蘇省江陰県顧山で生まれ、1938年に亡くなった民族器楽演奏家・音楽教育家です。


幼い頃から父の影響を受け、二胡や琵琶などの民族楽器を学びました。その後、江陰、無錫、常州、蘇州などで民族音楽の指導に携わり、長年にわたって国楽教育と後進の育成に力を注ぎました。


江陰や無錫を含む江南地域は、古くから江南絲竹をはじめとする民族音楽が盛んな地域です。


周少梅は、その豊かな音楽文化の中で演奏技術を身につけただけではありません。民間に伝わる音楽を収集・整理し、学校教育の中で教えられる形へ発展させようとしました。


周少梅は優れた演奏家であると同時に、近代的な民族音楽教育の先駆者でもあったのです。

民族音楽を学校教育に取り入れた先駆者


周少梅の大きな功績の一つは、それまで主に民間で受け継がれていた二胡や琵琶などの民族音楽を、近代的な学校教育の場へ取り入れたことです。


当時の民族楽器教育は、師匠の演奏を見てまねる口伝が中心でした。


楽譜や教材が十分に整っておらず、演奏法や教え方も、教師や地域によって異なっていました。


周少梅は1912年、省立無錫第三師範学校に民族音楽の授業を取り入れ、中国における初期の国楽教師・指導者の一人となったと紹介されています。


民族楽器が学校で正式に教えられるようになることは、二胡が民間の伴奏楽器から、教育や研究の対象となる芸術楽器へ発展していくための重要な一歩でした。


周少梅は学校で音楽を教えるだけでなく、地域の音楽愛好家や江南絲竹の演奏者とも交流し、民族音楽の普及と後進の育成に取り組みました。1930年代には、地域の国楽愛好家と音楽団体や研究会を組織したことも伝えられています。

二胡教育のための教材を編纂

周少梅は、演奏を教えるだけでなく、教育のための教材作りにも取り組みました。


当時の二胡教育は、教師の演奏を見て覚える方法が中心でした。周少梅は、民間楽曲や練習内容を収集・整理し、学習者が段階的に学べる形へまとめようとしたのです。


周少梅の『国楽講義』は三冊で構成され、近代二胡教材の初期の形として評価されています。内容には基本的な理論と楽曲・練習内容が含まれ、後の二胡教材や練習曲の制作にも影響を与えたと考えられています。


現在では、二胡を学ぶ際に、


– 正しい姿勢
– 二胡の構え方
– 弓の持ち方
– 運弓
– 左手の運指
– 音程
– 練習曲
– 課題曲


などを段階的に学ぶことが一般的です。


しかし、そのような教育体系がまだ十分に整っていなかった時代に、教材を作り、学校で二胡を指導した周少梅の功績は非常に大きいといえます。


演奏技術を自分だけのものにせず、誰もが学べる教材として残そうとしたことは、近代二胡教育の発展における重要な一歩でした。


二胡の音域を広げた「三把位」



周少梅の功績の中で、特に注目したいのが、二胡の把位(ポジション)を広げ、演奏できる音域を拡大したことです。


当時の胡琴演奏では、現在の第一ポジションに近い限られた範囲を使用し、ポジション移動をほとんど行わない奏法が一般的でした。


そのため、演奏できる音域はおよそ1オクターブ程度に限られ、表現できる旋律や楽曲にも大きな制約がありました。


周少梅は、二胡の演奏位置を上・中・下の三つの把位に分ける奏法を研究しました。


現在の二胡演奏に置き換えると、第一ポジション、第二ポジション、第三ポジションに相当する考え方です。


この奏法は、後に「周少梅胡琴三把位」や「三把頭奏法」と呼ばれるようになりました。


三つの把位を使い分けることで、従来よりも広い音域を演奏できるようになり、二胡で表現できる旋律や楽曲の幅も大きく広がりました。


現在では、二胡でポジション移動を行うことは、基本的な演奏技術の一つとなっています。


しかし、まだ限られた音域で演奏することが一般的だった時代に、周少梅が三把位を研究し、二胡の可能性を広げたことは、近代二胡の発展における重要な功績といえるでしょう。


二胡の構造にも改良を加えた



周少梅は、演奏法だけでなく、二胡そのものの構造にも改良を加えたと伝えられています。


二胡の音域と表現力をさらに広げるため、製作職人の協力を得ながら、琴杆を約90センチまで長くし、琴筒の大きさも拡大しました。


楽器の形を変えることによって、従来よりも低い音域や広い把位を使用できるようにし、二胡の音量、音色、音域の向上を目指したのです。


現在の二胡は、長い歴史の中で多くの演奏家や製作家によって改良されてきました。


周少梅もまた、演奏家として楽器の可能性を考え、演奏法と楽器の構造の両面から二胡の発展を追求した一人でした。

《虞舜薫風曲》と新しい演奏表現



周少梅は、民間に伝わる楽曲の収集、整理、編曲にも取り組みました。


その代表的な楽曲として知られているのが、《虞舜薫風曲》です。


周少梅はこの曲の演奏に下把位を取り入れ、装飾的な音や移指を用いることで、二胡の音域と表現力を広げました。


当時の二胡は、地方劇や民間合奏の伴奏楽器として使われることが多く、独奏楽器としての地位はまだ十分に確立されていませんでした。


周少梅は、把位と音域を広げ、その技術を実際の楽曲の中で使用することで、二胡が独奏楽器として発展できる可能性を示しました。


単に新しい技術を考案するだけでなく、それを実際の演奏表現へ結びつけた点にも、周少梅の先進性が表れています。



劉天華に二胡と琵琶を伝えた師



近代二胡史において、周少梅の名前を語るうえで欠かせないのが、劉天華との関係です。


劉天華は、後に二胡の作曲、演奏、教育、楽器改良など、多方面で大きな功績を残しました。


《病中吟》《月夜》《良宵》《空山鳥語》《光明行》などの二胡独奏曲を作り、二胡を近代的な独奏楽器へ発展させた人物として知られています。


その劉天華は、1917年頃から周少梅に二胡と琵琶を学びました。


周少梅から、江南地方に伝わる伝統的な民族音楽、二胡や琵琶の演奏技術、三把位による奏法などを学んだとされています。


劉天華はその後、西洋音楽の理論やヴァイオリンの演奏法なども研究し、中国の伝統音楽と西洋音楽の長所を取り入れながら、二胡の演奏技術と教育体系をさらに発展させていきました。


周少梅が伝えた伝統的な演奏技術や把位の考え方は、劉天華による近代二胡改革の重要な土台の一つになったと考えられます。


劉天華の功績だけを見るのではなく、その前段階で伝統的な胡琴演奏を整理し、教育と技術の基礎を伝えた周少梅の存在にも目を向ける必要があります。


師でありながら、劉天華からも学んだ周少梅




周少梅と劉天華の関係は、単純な「先生と生徒」だけではありませんでした。


周少梅は、伝統音楽や二胡・琵琶の演奏に優れ、劉天華へ多くの技術と知識を伝えました。


一方で、周少梅自身も学ぶ姿勢を失わず、劉天華から古琴の演奏技術や新しい二胡曲を学んだと伝えられています。


優れた演奏家や教育家になった後も、自分より年下の音楽家から学ぶことをためらわない。


この柔軟な姿勢は、周少梅という人物を理解するうえで、とても重要だと思います。


音楽の発展は、先生が一方的に教え、生徒が受け取るだけでは生まれません。


互いに学び、研究し、新しい時代に合った音楽を作り上げていくことによって、伝統はさらに豊かになっていきます。


阿炳との交流



周少梅は、劉天華だけでなく、阿炳とも交流があったと伝えられています。


阿炳は本名を華彦鈞といい、無錫の道教音楽や民間音楽の中で育った音楽家です。


現在では、《二泉映月》《聴松》《寒春風曲》などの二胡曲で広く知られています。


資料によると、阿炳と周少梅は1920年頃に交流し、その後、周少梅が上海での録音を終えて無錫へ戻った際にも再会したとされています。


阿炳が周少梅から琵琶曲《龍船》について学び、その高度な演奏技術を評価したという逸話も残されています。


阿炳は民間音楽家として高い演奏技術を持っていましたが、自分の技術だけに満足せず、優れた音楽家を訪ねて学び続けました。


周少梅もまた、学校教育の音楽家でありながら、民間の演奏家を尊重し、積極的に交流しました。


二人の関係からは、学校音楽と民間音楽が完全に分かれていたのではなく、互いに影響を与えながら発展していたことが分かります。


劉天華と阿炳を結んだ人物



劉天華と阿炳は、近代二胡を代表する二人の音楽家です。


しかし、二人が歩んだ道は大きく異なりました。


劉天華は、学校教育、作曲、教材作り、音楽研究を通して、二胡を近代的な芸術楽器へ発展させました。


一方、阿炳は、道教音楽や江南地方の民間音楽を背景に、人生の苦しみや感情を二胡の音色に込めました。


劉天華は、学校教育につながる近代二胡の道を切り開いた人物です。


阿炳は、民間音楽の伝統と精神を代表する人物です。


研究資料には、劉天華が周少梅を通して阿炳と知り合ったとする記述もあります。


その意味で周少梅は、伝統的な民間音楽、学校教育、そして近代二胡の改革をつないだ人物の一人だったと考えられます。


ただし、三人の交流については、資料によって年代や詳しい内容に違いがあります。


そのため、すべてを断定するのではなく、現存する記録を慎重に読み解く必要があります。


それでも、周少梅が劉天華と阿炳の双方と関わり、近代二胡の発展を支えた重要人物であることは、二胡の歴史を理解するうえで見逃すことができません。


なぜ周少梅はあまり知られていないのか



これほど大きな功績を残した周少梅が、なぜ劉天華や阿炳ほど広く知られていないのでしょうか。


その理由の一つは、現在まで広く演奏される独奏曲や録音が、劉天華や阿炳ほど多く残っていないことだと考えられます。


劉天華には、現在も演奏され続けている二胡独奏曲や多数の練習曲があります。


阿炳には、世界的に知られる《二泉映月》があります。


一方、周少梅の功績は、


– 民族音楽を学校教育へ取り入れたこと
– 二胡教材を作ったこと
– 三把位を研究したこと
– 二胡の音域を広げたこと
– 二胡の構造を改良したこと
– 民間音楽を収集・整理したこと
– 後進を育成したこと


など、二胡発展の土台を作る仕事が中心でした。


教育や技術の基礎を築く仕事は、非常に重要である一方、独奏曲や録音のように、一般の人に分かりやすい形で残りにくいものです。


だからこそ、現在の私たちが近代二胡の歴史を振り返り、周少梅の功績を改めて知ることには、大きな意味があると思います。


周少梅が二胡に残した主な功績



民族音楽を学校教育へ取り入れた


民間を中心に伝えられていた二胡や琵琶を、近代的な学校教育の中で教えました。


二胡教育の教材を編纂した


口伝だけに頼らず、段階的に学べる教材を作り、近代二胡教育の基礎を築きました。


三把位を研究した


上・中・下の三つの把位を使うことで、二胡の音域と表現力を広げました。


二胡の構造を改良した


琴杆を長くし、琴筒の大きさにも工夫を加え、より広い音域と豊かな表現を追求しました。


民間音楽を収集・整理した


江南地方に伝わる楽曲を集め、教材や演奏曲として次の世代へ伝えました。


劉天華に影響を与えた


二胡、琵琶、三把位奏法、伝統的な民族音楽を伝え、劉天華による近代二胡改革の土台を支えました。


阿炳と交流した


演奏や楽曲を通して阿炳と交流し、学校教育と民間音楽をつなぐ役割を果たしました。


周少梅から劉天華、そして現代二胡へ



二胡の近代化は、一人の音楽家だけによって成し遂げられたものではありません。


長い歴史の中で、多くの民間音楽家、演奏家、教育家、製作家が、それぞれの知識と技術を次の世代へ伝えてきました。


周少梅は、民間に伝わる二胡音楽を学び、それを学校教育や教材へとつなげました。


劉天華は、その土台の上に西洋音楽の理論や技法を取り入れ、二胡の作曲、演奏、教育をさらに発展させました。


阿炳は、民間音楽の深い精神と個性的な音色を後世へ残しました。


周少梅、劉天華、阿炳は、それぞれ異なる立場で二胡に向き合いました。


しかし、三人に共通しているのは、伝統を大切にしながら学び続け、二胡の可能性を広げたことです。


二胡を学ぶ私たちが周少梅から学べること



周少梅の人生から学べることは、二胡の歴史だけではありません。


周少梅は、自分が優れた演奏家や教師になった後も、学ぶことをやめませんでした。


さまざまな民間音楽家から学び、年下の劉天華からも新しい演奏技術や楽曲を学びました。


そして、自分が学んだ技術を独占せず、教材にまとめ、学校で教え、多くの人へ伝えました。


二胡の伝統は、技術を自分だけのものにするのではなく、次の世代へ正しく伝えることによって発展します。


演奏すること、学ぶこと、教えること。


この三つを大切にした周少梅の姿勢は、現在二胡を学ぶ私たちにとっても、大きな手本になるのではないでしょうか。


私も周少梅先生を目標に、日本で二胡を広げていきたい

周少梅先生は、優れた演奏家であるだけでなく、二胡の教材を作り、学校で指導し、多くの人材を育てながら、二胡と民族音楽の普及に力を尽くしました。


私は、周少梅先生のこのような生き方と功績を、自分自身の大きな目標の一つにしています。


私も長年、日本における二胡の普及と発展のために、初心者の方にも分かりやすい二胡教材の制作、段階的に学べる教育カリキュラムの構築、そして二胡を正しく指導できる講師の育成に取り組んできました。



二胡は、美しく深い音色を持つ素晴らしい楽器です。


しかし、二胡を日本でもっと広く普及させるためには、演奏を披露するだけでは十分ではありません。


初めて二胡に触れる方が安心して学べる教材を作ること、正しい基礎を丁寧に伝えられる講師を育てること、そして学び続けられる環境を整えることが大切です。


一人の演奏家が多くの人の前で演奏することも、もちろん大きな意味があります。


しかし、一人の講師を育てることができれば、その講師がさらに多くの生徒へ、二胡の魅力と正しい演奏法を伝えていくことができます。


そして、その生徒たちが二胡を楽しみ、家族や友人にその音色を届けることで、二胡の輪は少しずつ広がっていきます。


周少梅先生が、教材を作り、人を育て、民族音楽を次の世代へ伝えたように、私も日本で二胡を学ぶための土台を、さらに整えていきたいと考えています。


これからも、


– 初心者の方にも理解しやすい二胡教材を作ること
– 正しい基礎から学べる教育体系を充実させること
– 二胡を丁寧に指導できる講師を育てること
– 子どもから高齢の方まで安心して学べる環境を作ること
– 日本と中国の音楽文化を二胡によってつなぐこと


に力を尽くしていきたいと思います。


もっと多くの方に二胡という楽器を知っていただき、実際に二胡を手に取り、学び、その美しい音色を楽しんでいただきたい。


そして、二胡を愛する人たちとともに、日本における二胡文化を、さらに大きく育てていきたいと思っています。


周少梅先生が次の時代へ二胡をつないだように、私も自分にできる方法で、二胡の魅力と正しい教育を次の世代へ伝えていきたいと考えています。


まとめ|近代二胡の発展を支えた周少梅



二胡の歴史では、劉天華と阿炳が広く知られています。


しかし、その二人に影響を与え、近代二胡の発展を支えた周少梅の存在を忘れてはなりません。


周少梅は、


– 二胡を学校教育へ取り入れた
– 二胡教材を編纂した
– 三把位を研究した
– 二胡の音域と表現力を広げた
– 二胡の構造を改良した
– 劉天華を指導した
– 阿炳と交流した
– 民間音楽と学校教育をつないだ


近代二胡史における重要な功労者です。


現在、私たちが二胡で広い音域を演奏し、教材に沿って基礎から学び、独奏曲を楽しめる背景には、周少梅をはじめとする先人たちの努力があります。


周少梅は、劉天華や阿炳ほど広く知られてはいません。


しかし、近代二胡の発展を理解するうえで、決して欠かすことのできない音楽家です。


私も周少梅先生を目標に、日本における二胡の普及と発展のため、教材作り、教育体系の充実、講師の育成に、これからも力を注いでいきたいと思います。


もっと多くの方に二胡を知っていただき、二胡を学び、美しい音色を楽しんでいただくこと。


そして、二胡の魅力を次の世代へ正しく伝えていくことが、私の願いです。


この記事を通して、一人でも多くの二胡愛好家の方に、周少梅先生の名前と功績を知っていただければ、大変嬉しく思います。

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この記事を書いた人

二胡演奏歴50年以上。
二胡製作研究家。
高級二胡専門店 名師堂代表。
SOBOKU二胡スクール代表。

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