二胡の歴史

胡人の楽器「馬尾胡琴」から、現在の「二胡」へ
「二胡」は、中国語で“アルフー”と言います。日本では通称で“胡弓”と呼ばれたり、和楽器の胡弓と混同される事があるので注意しなければなりません。「二胡」は中国に伝わる擦弦楽器です。
中国の多くの文献によると、二胡は千年の歴史があると言われていますが、それは宋の時代の記録書『楽書』に渓琴という楽器が記されているためです。しかし、渓琴は二胡に似た楽器ではありますが、竹製であり、弓も竹で摩擦して音を出すので、二胡の原形としての位置づけに、私は反対です。

「二胡」はもともと中国の楽器ではないということが、二胡の「胡」の文字から見ると判ります。16世紀シルクロードを通して西域、中央アジアの各民族が中国中原地方に入り、中原の漢民族は異民族を総称して胡人と呼んでいました。この胡人の持っていた擦弦楽器を「胡琴」と呼んだのです。弓は馬の尾の毛を使っていたので、「馬尾胡琴」と呼ばれました。
現在でも「二胡」の事を「胡琴」と呼ぶ中国人がたくさんいます。この胡琴は人の声のような哀愁のある独特な音色で中原漢民族の人々に愛され中国の民間で途絶えることなく根づきました。おそらく日本の胡弓の原形は、その時代から日本に伝わったのではないだろうかと、私は考えています。
なぜ民間かというと、「胡琴」は中国宮殿音楽の楽器としては認められなかったためです。歴代のいろいろな帝王古墳の壁画や棺の周りには、楽器を演奏している姿の宮殿楽俑が彫られているのですが、その絵の中に二胡奏者の姿は存在しないのです。
しかしながら、明・清の時代になると「胡琴」は芝居、劇、曲芸、影絵、歌など、大衆芸能の伴奏として欠かせない楽器として活躍し始めました。需要が増すにつれ「馬尾胡琴」と呼ばれた「胡琴」は時代に合わせて進化しました。胴に貼る皮が、羊の皮から蛇の皮に変わり、牛の筋や羊の腸を使っていた弦もシルク弦に変化し、現在の形へと変わってきたのです。

曽朴