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曽朴

曽朴中国四川省成都市生まれ。
作曲家だった叔父の影響で12才から二胡を習い始める。14歳から各地のコンサートに出演、16歳で故郷の中国民族音楽二胡コンクール少年の部で優勝。プロ演奏家をめざし1984年、国立四川音楽大学入学、二胡を専攻。在学中から、中国各地で演奏活動を行い、テレビやラジオにも出演。卒業後、高校の音楽教師をしつつ、独自でバンドを結成し、コンサート活動を続ける。1998年来日。日本中国二胡教育普及会代表。「SOBOKU二胡スクール」を主宰し、初心者からプロまでを指導。NHKテレビ出演、各カルチャーセンター講師の他、著作『Basic of 二胡 初歩の初歩入門』をドレミ出版社より刊行。 各地での演奏活動など幅広く活躍中。二胡愛好家に本物の二胡を供給したいという願いを元に、中国二胡専門店名師堂を経営。楽器フェア出展。二胡の普及に尽力している。


曽朴インタビュー

−−今の中国で、二胡はポピュラーな楽器なのですか?

実はあまり一般的ではありません。私が子どもの頃も、お金持ちの家庭ではピアノやヴァイオリンのような西洋楽器の方が人気で、通っている小学校でも、二胡を習っているのは私ぐらいでした。

−−どうして、そんな特殊な楽器であった二胡を習われたのですか?

叔父が中国音楽の作曲家だったこともあって、家族や親戚がみんな音楽をしていたので、私にとって楽器を習うことはごく自然なことでした。二胡を選んだのは、独特の音色が子どもの頃からすごく好きだったからです。12歳から始めて、毎日一生懸命練習し、16歳の時には中国民族音楽二胡コンクール少年の部で優勝。やがて、国立四川音楽大学に進み、二胡を専攻しました。

−−音大に入るのは難関だったのでしょうね。

当時、若者が運命を変えるためには大学に行くしかないと言われていましたから、それはもう大変なことでした。ちょうど私の頃は、文化大革命後の10年の間にたまっていた人材が全国から集まり、さらに厳しく、合格率は1000分の1ほどでした。中国の大学は国立で、学費がいらないばかりでなく、学生には多少のお金が支給されます。そして、卒業後には国の手配で仕事が与えられるのです。私は、高校で音楽を教える教師になりました。

−−今こうして日本にいらっしゃる、ということは、何かストーリーがありそうですね。

まだ若く、やりたいことがいっぱいあって、教師は2年ほどでやめました。家族や友人は、安定した生活ができなくなると随分心配してくれましたが、公務員に価値を見い出すことはできませんでした。教師をしている間もバンド活動をし、コンサートツアーをやっていましたので、それをもっと思う存分してみたいと思ったのです。日本の「赤とんぼ」がとても好きで、バンド名は、「紅蜻蛉(=赤とんぼ)」。「いつもあちこち飛び回っている」と言われました(笑)。

−−日本語がとてもお上手ですが、どこで覚えられたのですか?

何か外国語を身につけなくてはと考えていたので、四川科学大学の国際言語センター日本語科に入学し、バンド活動をしながら勉強しました。大学生の頃、四川大学外国語学部の友達から「あいうえお」を教わって独学し、その後授業を聴講したり、日本の教育ビデオを見て、外国語としての日本語に興味を抱いていたのです。その頃は、来日することなど、予想もしていませんでした。

−−日本語は学校で学ぶだけでは身につけるのが難しいと言われますが。

そうですね。私の場合、ちょうどチベットの旅行社が、日本語の出来るガイドを探していて、私が学んでいたクラスに募集をかけてきたんです。私にとってチベットは、子どもの頃からのあこがれの地。真の日本語も学べるし、大きなチャンスだと思い、国際旅行社のチベット駐在員になりました。→曽朴のエッセイ「ハート in チベット」

−−音楽中心の人生から、それは随分と大きな転身ですね。チベットはどんな所でしたか?

最初の一週間は高山病に苦しみました。身体がなじんだと思ったらすぐに初めてのガイドの仕事が始まりました。初めて聞いたナマの日本語はほとんど聞き取ることができず、頭の中が真っ白になりましたが、せめてしっかりサービスしようと、高山病に苦しむお客様たちに、真心で一生懸命つくしました。

−−高山病が悪化したお客様の一命を取り止められた事もあったそうですね。

はい。医師から「このままでは死んでしまうので、特別な施設のある病院に入らねばならない。」と聞き、命を助けたい一心で、酸素ボンベを積んで、やっとの思いで空港へ。そのお客様は一命を取りとめられ、ホッと胸をなでおろしました。

−−最初から強烈なご経験をされたのですね。お客様からは感謝されたでしょう。

その方だけでなく、ツアーの皆さんから感謝の言葉や手紙をたくさん頂きました。実はそれまでは、反日的な教育もあって、日本語に興味はあっても日本人にはあまりいい感情を持っていなかったのですが、この初仕事を通して大変好感を持ちました。日本人は優しくて、とても仁義がある、ということがわかったのです。

−−日本に来られたのは、どうしてですか?

生活に必要な日本語は身についていましたが、チベットでガイドをしていくためには、もっと日本語が上手にならなくてはと、思ったためです。

−−では、どのようにして、日本で二胡を教えるようになったのですか?

日本で二胡のコンサート活動を再開。ちょうどその頃、日本で二胡が人気になりはじめている事を知り、驚きました。次第に二胡を習いたいという方が増えてきたのですが、ある日、二胡を3年間習っているという人の演奏を聞かせて貰うと、まるで二胡の音が出てないのです。これではいけない。本来の美しい音を出して欲しいと強く思って、本格的にレッスンを始めるとともに、二胡の普及に努めるようになりました。

−−コンサートとレッスン、今はどちらの方にウエィトを置かれているのですか?

レッスンです。生徒さんが増え「SOBOKU二胡スクール」として、スクールの内容をレベル別にするなど充実させ、一人でも多くの方に二胡を楽しんでもらえるよう、真剣に取り組んでいます。毎年の二胡フェスティバルでは、練習の成果を披露し、「二胡デュオ花水月」「二胡フォー」など、二胡演奏グループも育っていってます。

−−「中国二胡専門店名師堂」を、始められたのはどうしてですか?

せっかく練習して演奏されるならば、是非良い二胡と出会って、きれいな音を出していただきたいと考えました。中国有名工房の職人が作る本当の二胡だけを扱う名前のとおりの「二胡専門店」です。末長く使える品質確かな二胡を、安心して喜んで買っていただき、購入後も充分に満足していただくようにつとめています。


二胡は、しっかりと日本に根付き、より多くの方々を魅了していくに違いないと信じています。そのお手伝いが出来る運命に感謝しています。


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